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会員写真展案内

豊 哲也         「星達の記憶」

大久保千広        「大久保千広と週刊文春の 35年」

籔本近己        「軌跡をたどる」

JPA岡山サポーター   PHOTOGROUP             ING&NEXT

牧島ヒロミツ      「かたちの誘惑」

山岡茂男        「100時間の雲南省紀行」

山田 昇        「秩父路」

戸渡俊康        「自然美との邂逅」

菅家令子        「油絵個展」

JPA日本写真作家協会    東北地区入賞・入選作品展

池村まさお写真展    「世界の絶景」

REMEMBERING

2015年2月22日、午前11時から4回目の追悼式典が市の中心部のBOTANIC公園で行われた。

この日は、大きく分けて二つの追悼行事が市内であった。

一つは、2200人もの参加者たちが集った”あの日を忘れない“10kmランニングが、クライストチャーチを見下ろす丘のビクトリア公園コースで行われたランニング大会だった。

大会は午前9時スタート、小雨に濡れながら2200人の参加者によって行われた。

23日付け新聞のトップ記事の写真には、子どもと手をつなぎ一緒に走る親子の姿が印象的だった。

一緒に思いを分かち合いたいという仲間は、年を追うごとに増え、2013年1700人、2014年2000人、今年は2200人の参加者だった。

 

二つ目は、BOTANIC公園で行われた追悼式典だった。

広い公園の高く聳える大木に囲まれた追悼会場は、灰色の雲で覆われた空の下、時おり雲間から薄日がもれていた。静粛な会場に音楽隊の演奏曲が流れ、遺族の人たち、市長(写真3 右端の女性)、それぞれの関係者が祭壇の十字架に向かい祈りを捧げた。

その中には、日本国政府関係者(写真3 右から3人目)の姿もあった。

追悼式典の最後には、壇上から神父さんがみなさん献花をしましょうと参列者を促した。

近くで献花を配っておられたご婦人から、オレンジ色の花を一本いただき、献花台に供え手を合わせた。

神父さんが私に、あなたの家族は大丈夫でしたかと安否を尋ねられた。

少し緊張したが、家族はみな無事でしたと感謝の気持ちを伝えた。

神父さんにあなたの写真を撮らせてもらっても良いですかとお願いした。

神父さんのほんの少し笑みを浮かべられた、その優しい眼差しが印象に残った。

神父さんは会場を回りながら、多くの人たちに声をかけられていた。

 

当時、私は市の中心部よりおよそ15km離れた学校の一階にいた。突然、大きな揺れが起こり、足元がぐらつき、壁に掛けた物が床に落下し、騒然となったが大きな被害や怪我人は出なかった。

急ぎ、家に帰ろうとしても道路には車が溢れ、時間が経つにつれ身動きできないほどの大混雑になった。

家族に連絡をしようとしても携帯は、全く持って機能しなかった。

余震が連続し、アスファルト道路は波打ち変形し、とても運転できる状態に無かった。

 

地震が起こった時にいた僅かな場所の違いが大きく明暗を分けた。

不幸にも犠牲になった人たちやその家族が、少しでも希望を持って明るく生きていけることを願い、これからも”あの日を忘れない”善意の輪を広げ、みんなで共有し、伝え続けていかなければならない。

RESTART

町や家、道路の状態が日を追うごとに目に見えて変化していく。

町の中心部は、どこもかしこも新しいビル建設工事が急ピッチで進んでいる。ヘルメット姿の工事関係者は土、日曜日を問わず、早朝から仕事に入り、日没後もライトを点け、忙しく遅くまで働いている。

地震前は、土、日に仕事をするなど皆無だったのが、今は復旧を目指す勢いが漲っている。

町の建設もさることながら、住宅地が市内から郊外へと大きく方向転換していることもニュースと言える。

今までの広い農地や放牧場だった地域が、一変して5000軒規模の大住宅計画により、クライストチャーチ郊外のあちこちに住宅や店舗そして道路が作られている。

建設、資材、運送会社で働く人たちの仕事が、これから数年先まで仕事が詰まっており、個人が家を建てるのは中々難しいようだ。また、隣家は地震で損傷した家屋の修理が4年経ち、先週から工事が始まった。

4年前は、1NZDが60円ぐらいだったのが、ここ最近では90円近くにも跳ね上がっている。

空港の出国手続きはハイテクが導入され簡単になり、日本語による入力も出来るようになった。

空港の内外ともに見違えるほど環境が整い、海外からの旅行者を迎える国際空港になった。

町を歩けばいろいろな場所や店で、海外からの団体客や個人旅行者が多く見受けられるようになった。

教会前の広場に人が集まるようになり、ストリートパフォーマンスやチェスに興じる人たちから、以前のような活気が見られるようになった。(写真4)

路面電車も走るようになり、土、日を問わず平日も人出が多くなり活気を感じた。

新しい町の建設、そして安全な町づくりが進むクライストチャーチは、RESTARTへと大きく前進している。