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会員写真展案内

菅田隆雄写真展     「愛しき道祖神」

飛の美をもとめて   2017『樹越』

飯田樹写真展       海を見ていた       ━房総の海岸物語━

芸術とは何か

 これを理解するのは非常に簡単である。

心の表現である「泣く」「笑う」に「正しい泣き方」「正しい笑い方」がないように、心を表現した結果の写真作品(芸術作品)においても「正しい写真」というものもなく、よって邪道な写真も正統な写真もない。

 

 芸術を考える時に「心の表現である泣く、笑う」を基準にして考えると全てが解けてくる。

「泣く」「笑う」に理論はない。

「泣く」「笑う」に流行もない。

「泣く」「笑う」に優劣もない。

「泣く」「笑う」に見本もない。

なんの束縛もなく常識にもとらわれず、ただ心から出てくる心情に従い表現することが、純粋な芸術といえるのではないだろうか。

 

 写真として表現した時の作家の心情と、その作品を見る時の鑑賞者のその時の心情が一致した時に強烈な感動を与える。

要するに「被写体」「作家」「作品」「鑑賞者」が同じ心情で相交性をもち、共鳴し合い、感動し合う。違う心情の人が見れば当然感動はしない。作家、鑑賞者の心情もまた時代、年齢、経験、環境などによって変わってくる。

 

 写真表現においても、同じ物を撮っても作家によって作品は違ってくる。

例えば、ある心情Aを持った作家は被写体の多面性の中からAの雰囲気の部分に共鳴し、それをより強く、その作品にA+アルファとして表現する。そしてAという心情を持った鑑賞者はその作品を見て感動する。またBという心情を持った作家は同じ被写体のBという雰囲気を出している部分に魅かれ、B+アルファの写真を作品として仕上げる。報道写真のように瞬時に撮った写真でも連写の写真においても、どのカットを選ぶかはその作家の心情による。したがって作家の心がその作品の中に表現されるということになる。

  

私の芸術論

「芸術の究極とは、「死」と隣り合わせの「生」の極限、いわゆるエロチシズム(エクスタシー)の表現であり、生理と本能を根底から揺り動かすものである。芸術に理論や流行があってはならない。」

解り易くいうと、本能である「泣く」「笑う」に正しい泣き方、笑い方はないが、強さの度合いはある。例えば、泣き方においては、、、「しくしく泣く」、、「わんわん泣く」、、「号泣する」、、など。 芸術の究極とは「泣く」の中で度合いの強い「号泣」の上の「泣血」あたりになるのだろうか、、、?

 

私の現時点での芸術に対する考えを自由奔放、勝手気ままに、独断と偏見で述べさせていただきました。

異論、ご意見お待ちしております。


菅家令子