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兼𠮷正純Photoアート展  魅惑の花鳥 風月

第2回 津田写真塾写真展

個性という名で集結    久野鎮「心象創幻個展」

「あの雲、ホント?」 ─ムンクの絵のおそろしく不気味な赤い雲は?─

 ムンクという絵描きの“叫び”という絵を知っていますか? あの目を見開いて顔をかかえた逆さラッキョー顔の人物が、ドス赤い雲の下で恐怖の表情をしている、といえば思い出すでしょう。

 小生はそれを見たとき、人物より雲のほうが気になって、ウソだよあんな雲がおおげさに赤いのは、と感じました。でもムンク氏、当時大分進行した神経症だったのであーゆー風に感じたのさと一旦納得しましたが、高い山ならさておき北欧内海ぞいのオスロ市で本当にそんなことがあったのかと、持ち前の物好き詮索根性が頭をもたげてきました。

 画家エドヴァルド・ムンク(1863~1944)はノルウェーの人。あの雲を見たのは1884年と日記にあるそうです。場所はオスロ市内の湾を見下ろす道ばたと特定してある。これは何かあるぞ、私もヒマラヤなどではかなり赤い夕焼雲を見ましたが、それは明らかに異常気象。フィリピンのピナツボ火山が大爆発したとき、そのチリやガスが上空に昇って生じたのが原因でした。

 さては、と手元の「理科年表」というビッグデータブックなどをひもとくと、いやありました。ムンクさんの赤い雲の前年1883年、インドネシアのクラカトァ島が超巨大爆発をして約3年間そのガスやチリが世界中の大気上層に留まった、とありました。しかしなぜ、とりわけ北欧の内海オスロ湾上空にあんな雲が出たのか、と今度は世界地図をひっぱり出してみたら、オスロ湾の西には高さ1600m位の山脈がありその山の向こうはベルゲン市、その西には外海の北海がひろがっています。それでわかった。つまりあの波うつ不気味な雲は、地形的に気象的にホントに出た雲でありました!

 おそらく1884年のある夕方、ムンク氏が通りすがりに出逢った光景。はるか北海からのかなり強い西風がオスロ湾西の山脈をのりこして帯状の大笠雲を生じた。この気流はオスロ湾に吹き下りて、雲は消えたが山々の上空にはあの太く厚い不気味な雲が残り、それが折からの、あの火山による大気のチリやガスで生じた大気層を夕陽のとりわけ赤みの強い太陽光が透過して、あのドス赤く染められた雲の巨壁のようになりムンク氏を恐怖におとしいれた、ということであろうと推理しました。

 そのとき彼は大分情緒不安定だったらしく、世界破滅的なただならぬ気配を察した。つまりあの逆さラッキョーの恐怖人物はムンクさんそのものであります(絵にしたのは1893年)。

 こんな気色悪い想い出なのに、ムンク氏はほとんど同構図の絵を何と5枚も描いているというから当時、相当に分裂的であったのでしょう。どうも画家の心の屈折はわかりにくい・・・・・。すこしタネ明かししすぎましたが、でも21世紀の今、もしデジタルであんな雲の過自然な色をいきなり出されたら、やはりドッキリとする。私はいまだにあのネクラ深刻な絵を好きになるのはかなり難儀な気持ちでいますが・・・・・・。